4/22,23 聖書研究・祈祷会「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20章)

おはようございます!東山教会の皆さん、お元気ですか。祈祷会のメッセージ要約を掲載します。皆さんのお祈りの課題をぜひ教えてください。教会のEメールにお送りくだされば、覚えてお祈りいたします。
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聖書・奨励「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20:19~23) 〔新約210頁〕

1 恐れと不安の中で
 イエス様の弟子たちの置かれている状況、それは、平和(平安)とは程遠い状況です。イエス様を十字架刑で失った悲しみ、復活を聞いても信じられないという不信、さらに、いつ自分たちが捕まえられるかわからないという恐怖。様々な感情が入り混じる中で、弟子たちは身を隠すという方法で自分たちの身を守ろうとしています。彼らは、ユダヤ人を恐れ、一軒の家の戸を固く閉ざしています。鍵を施錠して。

2 手とわき腹の傷を見る
 イエス様は、身を隠している弟子たちの真ん中に立ち、平和があるようにと声をかけられます。いったいどこから、どうやってこの家に入って来られたのでしょうか。幽霊ではなく、実体の伴わない霊的な存在だから可能だったのか。あるいは、恐怖心のあまり、幻覚で見た姿なのか。そういう想像を打ち破るように、イエス様は「手とわき腹」をはっきりと目に見える形で弟子たちに見せられます。手とはつまり、十字架にくぎ付けにされた傷の残された手、わき腹とは、つまり死んだことを確認するために、ローマ兵に突き刺された時の傷が残っている腹のままに。

3 あなたがたに平和があるように
 イエス様は2度にわたって、「平和があるように」と弟子たちに声をかけられます。平和=平安、心に不安を抱えた状態ではなく、身体的にも疲れ切った状態ではなく、心身ともに痛み苦しみの取り除かれた状態で生きてよいのだという招きの言葉です。私たちは今、全国で緊急事態宣言を受けて、自宅で時を過ごすように促されています。“Stay home!”と言われても、いつまでこの不安な状態が続くのでしょうか。いつかは、新型コロナウイルスの感染状況が沈静化することを願い、信じながらも不安は続きます。そういう状態になって、今から2000年前の弟子たちの不安感や恐れの感覚がわかる気がします。イエス様は、不安を取り除かれたばかりか、聖霊の息吹を吹き込み、背中を押すようにして福音伝道の働きへと、弟子たちを促されるのです。さらには、罪の赦しを行うようにとも。罪の赦しへの導きは、つまり他者を赦すことですが、実は、自分自身をも赦すことにもつながります。イエス様から離れてしまう弱さを抱える自分をあるがままに見つめ、他者の抱える弱さと罪への共感を持つことではないでしょうか。主に赦されて生きる者とされたからこそ、他者を赦すことができるし、人を赦すことで、人にも赦されることを、私たちは知るのでしょう。3度目の「あなたがたに平和があるように」という言葉は、トマスが復活を信じる場面で語られます。「2度あることは3度」あり、神様の救いの出来事は、実に奥深いものであることを私たちは知ります。

祈りの課題:
教会の祈り(礼拝の再開、メンバーの霊的健康、今年度の教会の歩み)、
日本と世界の為(新型コロナウイルスの収束、世界の平和)の為祈りましょう。
※次回:4/29(水)、30(木)「朝の食事をしなさい」(ヨハネ21:1~14)

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