4/26 週報巻頭言「聖なる光に出会うために」

主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。
「あなたの真実はそれほど深い。主こそわたしの受ける分」とわたしの魂は言い わたしは主を待ち望む。
(哀歌3:22~24)

今日は4月最後の主日礼拝です。これで3回目の家庭礼拝期間中の礼拝となります。この間、不思議なほどに東山教会に連なる兄弟姉妹からの励ましの言葉や慰めを頂きました。ある方は、直接教会に足を運び、ある方は、手紙やメールを通じて現状を伝え、祈りの課題を託してくださり、なおかつ、共に礼拝をささげることができない中で、牧師や牧師家族のことを思いやる言葉をくださいました。「ああ、私たちは離れていても互いを思いやり、励まし合うことのできる神の家族であるのだ」と深く感じました。

兄弟姉妹の皆さん、今は、忍耐の時です。そして、同時に恵みの時でもあります。なぜなら神様は慈しみと憐れみ深い方であり、恵みと試練を私たちにお与えになり、試練を通して私たちの信仰に深みを与えてくださる方だからです。ある牧師がこう言っていました。「独りの時、決して独りぼっちではなく、傍らに主がおられるのだ」と。孤独の暗闇に置かれているようでも、私たちはそこから主の光を仰ぎ臨むことができます。今はその光を待ち望む信仰の深みへと私たちが招かれている時ではないでしょうか。

-牧師のお話