11/29(水)・30(木) 聖書研究・祈祷会

《今日のポイント》 

聖書・奨励 「苦難を負う(しもべ)」(イザヤ書53章1~8節)

1 4番目の主の僕の歌:

「彼」は、誰を指しているのか。これは、僕の歌に共通するテーマです。「病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ 彼は自らを償いの献げ物とした。」(10節前半)「彼が自らをなげうち、死んで罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い 背いた者のために執り成しをしたのはこの人であった。」(12節)にあるように、この人は主イエス・キリストを預言する言葉として、教会では伝統的に解釈してきました。

2 この人は、若枝のように主の前にそだった(1~2節前半)

 この人は、まるで乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように、みずみずしく育った人です。ちょうど、ルカ福音書に描き出される幼少期の主イエスのお姿を思い起こします。「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。」(2章52節)

3 傷つき、病を得て、苦しむ人として生きた人(2節後半~8節)

 しかし、成人し、大人になったこの人は、見る影もなくやつれ果て、人々からも軽蔑の対象になってしまいました。「多くの痛みを負い、病を知っている」この人が担ったのは、「わたしたちの病 彼が追ったのはわたしたちの痛み」でした(4節)。それは、この人自身の犯した罪の結果ではなく、私たち=すべての人間の罪、とがであり、この人が代わりに引き受けてくれたことで、私たちはいやされ、罪ゆるされたのでした。「彼は自らの苦しみの実りを見 それを知って満足する」(11節)人であり、喜んで自らの命を差し出し、すべての人を救って下さいました。

「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」(ローマ3章24節)

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