10/4(水)・5(木) 聖書研究・祈祷会

《今日のポイント》 

聖書・奨励 「食い尽くされたぶどう畑」(イザヤ書3章12~15節)

A はじめに

  • イザヤ書とは何か

 イザヤ書は預言文学です。一人の預言者イザヤの語る言葉の形をとりながらも、イザヤ書は、複数の預言者集団のことば集として理解されております。紀元前8世紀の後半、アッシリア軍がエジプト制服に備え、繰り返しパレスチナを侵略した歴史(1~39章)。そして、それから2世紀(200年)後、バビロニア帝国によりエルサレムは廃墟と化しています。新興国、新バビロニア帝国(ペルシャ帝国)が次に覇者として中近東世界を支配します。バビロン捕囚から解放され、新しい歴史を迎えることを希望するイスラエルの歴史(40~66章)が記されています。

  • イザヤとは誰か

 旧約聖書神学では、第一イザヤ(1~39章)、第二イザヤ(40~55章)、第三イザヤ(56~66章)の3つの時代区分に考えられています。一人の預言者イザヤの見た幻は壮大です。「アモツの子イザヤがユダとエルサレムについて見た幻。これはユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの治世」(1:1)と、ペルシャの王キュロスによる解放。さらに終末における神の新天新地創造のヴィジョンまで描き出されています。

B 食い尽くされたぶどう畑とは

 神の愛するぶどう畑としてのイスラエルは、他の国々におもねり、大国エジプト、アッシリアなどの国との朝貢外交を行い、その保護を求めて行きました。より頼むべき「主なる万軍の神」(1節)に頼ることをせず、人間の力、軍事力による平和を求めた結果、“ぶどう畑”は見るも無残に食い尽くされてしまうのです。弱者が足蹴にされ、貧しい者たちがないがしろにされる責任は、指導者たち(王、長老たち)にあります。希望はどこにあるのか。

2章4~5節を見ましょう。「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。」

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