7/26(水)・27(木) 聖書研究・祈祷会

《今日のポイント》 

聖書・奨励「応え合う者として」(創世記2章18~25節)

1 共に生きる存在としての私(18~20節)

 今日の箇所が大変興味深いのは、人はひとりで生きる者ではなく、誰かと共に生きる存在であるということが教えられている点です。主なる神は、「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」と考え、最善の道を備えようとしてくださったということは、神の深いご配慮を感じます。

 人(=アダム)にいったいどの存在が信頼できるパートナーとしてふさわしいのか。1章の創造物語とは異なる形で、動物たちが形づくられていきます。主なる神が形作られた存在に対して、人が名付けていきます。この主なる神と人(アダム)の関係性も、大変興味深いものです。信頼して任せられる主なる神様の姿が印象に残ります。この段階では、人は「自分に合う助ける者は見つけることが出来」ませんでした。

2 欠けることの出来ないパートナーの存在(21~25節)

 アダムのあばら骨の一部を取り、主なる神は、女を造り上げられました。土/ちりではなく、人の一部から、それも、大切な心臓ちかくのあばら骨から造られたということに意味があります。パートナーとは、その人にとってなくてはならない存在であることを表わしているのです。

 人は、このパートナーを前にして、喜びの歌「これこそ骨の骨、肉の肉」を歌います。そして、パートナーの存在を「イシャー(女)」と名付けます。「助ける者(エーゼル)」(20節)とは、(~と向き合う同伴者)との意味があるそうです。神様が私たち人間に、お互いに助け合う存在、向き合う同伴者を備えてくださったことは、とてもありがたい恵みですね。二人はお互いの存在に喜び合い、幸せな日々が始まりました。その先には、何が待ち受けているでしょうか。

-聖書研究・祈祷会, 祈祷会のご案内