10/4(日)週報巻頭言より

『神の家族・キリストの体なる教会』   No.64

「あなたがたはキリストの体であり、

また、一人ひとりはその部分です。」

(1コリント12:27)

 先週の金曜日から、東海聖書神学塾で私の担当するキリスト教文学講座が始まりました。今回は「困難な時代に文学は何を語るのか」というテーマのもとに、三浦綾子「銃口」、カミュ「ペスト」、ドフトエフスキー「カラマーゾフの兄弟」を取り上げていきます。どうかお祈り下さい。

 第1回目は、今年の始めに天に召されたY兄弟を偲んで行いました。病院に出張講義と称して、Y兄弟の求めに応じる形で昨年一度「愛と祈りの三浦綾子文学」を行いました。第2回目を行うことなく召天された兄弟を思いつつ、その時に取り上げようと思ったのが以下の本でした。 「だが、どんなに入りづらくても、信仰を導いてもらうためには、教会は必要なところなのだ。無論、教会は、単に信仰を学ぶための学校ではない。神を礼拝し、神と人とが交わり、人と人とが交わり、そして、ここで聖書の言葉を聞き、力を与えられ、その与えられた力で生きるべく、各々の生活の場に向かっていくところでもある。教会は、キリストの体と言われるわけがそこにあるのである」(三浦綾子「光あるうちに」)。教会とは何か。なぜ教会が必要なのか。三浦綾子さんは、非常に深い内容を分かりやすい言葉で伝えています。今の時代にこそ、読み返したい一冊です。

-お知らせ