9/8 週報巻頭言より

『主は私たちの導き手』         No.7
「主よ、あなたはわたしを究(きわ)め わたしを知っておられる。
…前からも後ろからもわたしを囲み 御手をわたしの上に置いていてくださる。」
(詩編139編1、5節)

 9月1日は、東山教会にとってうれしい出来事がありました。
久留米キリスト教会員であった吉次ひろ子姉の転入会式があり、吉次姉の
信仰告白・証しの中で、60年にわたる信仰生活の歩みを垣間見る機会が
与えられました。「いつも詩編139編に力を与えられ、支えられてきま
した」との言葉に誘われるようにして、後でじっくりと読み返してみました。
詩編139編は“ダビデの詩”の一つです。旧約エレミヤ書にも共通する視点、
人は母の胎内にある時から、神様の御業によって造られ、はぐくまれて
いることが歌われています。そればかりか、人の一生のすべての歩みが、
神様の御手のうちにあり、導かれていることが、新鮮な感動と共に歌い
上げられています。
 吉次姉はまさか名古屋に移り住むことになるとは想像だにしていなか
ったそうです。しかし、いざ久留米を離れることになったとき、不思議
に心に不安はなかったと告白されました。
 なぜ私はここにいるのか。神様は私に何をすることを望んでおられる
のか。自分の生き方に自信を失い、自分の使命が定かでないように感じ
るとき、私たちのすべてを知って導いておられる神様のまなざしを感じ
ると深い安心を得ることができます。神様から与えられた人生を、
味わいながら歩んでいきましょう。

-牧師のお話