7/29,30 聖書研究・祈祷会

聖書・奨励「平和を願う祈り」(2テサロニケ3章16~18節)〔新約383頁〕

1 平和の主(16節)
平和の主(救い主)とは、いったいどのような存在でしょうか。旧約聖書 イザヤ書では、平和の王のイメージ:「知恵と識別の霊 思慮と勇気の霊 主を知り、畏れ敬う霊。彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。・・・弱い人のために正当な裁きを行い この地の貧しい人を公平に弁護する。・・・正義をその腰の帯とし 真実をその身に帯びる。」(11:1~5)が描き出されます。パウロのイメージする平和の主は、まさにこの平和の王のイメージに重なります。
軍事力を酷使して、かろうじて戦争がない状態が保たれていること(消極的な平和)が平和であるのではなく、神様の真実な救いの御業が行われ、神様が共におられる状態こそが真の平和です。パウロは、この真の平和が、神様によって実現することを願います。具体的には、「平和の主ご自身が」=イエス・キリストご自身が、この平和を与えてくださるようにと願います。
「いついかなる場合」とは、敵に命を狙われている状態、迫害にさらされている状態を指しています。たとえ迫害下にあっても、「あなたがたに」平和が与えられるようにという祈りは、単に精神的な安定、心の平和の状態を超えて、霊と肉において、神様の平和が守られること、真実な主が、「必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださる」ことを願う積極的な祈りです。

2 印 (17~18節)
パウロの手紙は、パウロが語り、弟子が書き取った口述筆記による手紙です。手紙の最後はパウロの直筆で、大きな字で書かれていることが多いようです。そして、この手紙には、印が記されています。いったいどのような印(セーメイオン)なのでしょうか。パウロの「挨拶」(ホ・アスパスモス=ごきげんよう)が書かれているということで、パウロの真正なる手紙という価値がある手紙です。
私は、この手紙の印を十字架の印(τ、アッシジのフランチェスコの手紙参照)であったのではないかと想像しています。ヨハネ黙示録の神の刻印(7:2以下)のようにクリスチャンの額に記される刻印も、同じではないかと空想しています。キリスト印の手紙、キリスト印のしるしが刻まれている私たちは、キリストを証しする者として神様によって生かされ、また、用いられている存在です。
神様と共に、イエス様と共に生きるところに、神様の恵みが注がれています。

祈りの課題: 心ひとつに祈りを合わせましょう

1東山キリスト教会の為(福音伝道と牧会の働き、メンバーの霊的健康)
29日(水)、30日(木)聖書研究・祈祷会、8月2日(日)主日礼拝
今後の教会形成、福音伝道が主のみ心にかなって導かれますように
2日本と世界の為(新型コロナウイルスの終息、全国の水害被害を覚えて、世界の平和)
社会の営みの回復と、新しい価値観に生きることができるように。人種・国籍、社会の格差に
よって生じる差別、偏見から解放され、平和な世界が作り出されるように
3出席者の祈り課題

※次回:8/5(水)、6(木)「エジプトのイスラエル人」(出エジプト1章より)

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