8/2(水)・3(木) 聖書研究・祈祷会

2023/08/03

《今日のポイント》 

書・奨励「それでもなお、生きる者として」(創世記3章、中心20~24節)

1 善悪の知識の木から実を食べてしまうこと(1~7節)

 最初の人アダムは、その妻と共に蛇の巧みな言葉に誘惑を受けました。主なる神は、「・・・ただし、善悪の知識のきからは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」(1:15~17)と命じられ、アダムはその命令を忘れたわけではありません。「女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた」ため、女も、男も我慢することが出来ませんでした。命令を破ってしまう人間の弱さがよく表されています。人間は神様の御心が理解できていません。

2 「どこにいるのか」(8~19節)

 涼しい風の吹くころの描写は、大変印象に残ります。主なる神はエデンの園を散歩されます。アダムと女は神の顔を避けて身を隠してしまいます。裸であることを恥ずかしいと感じる思いがそうさせたとも言えるのですが、罪の意識が芽生えて、そのような行動を選んだとも言えます。神様との信頼関係が崩れたことにより、アダムと女の間の信頼関係にも微妙な崩れが生じています。互いに責任を擦り付け合う様子に、関係性の崩れがよく表れています。

3 皮の衣を作り、アダムとエバに着せられる神様(20~24節)

 アダムとエバは、神様の信頼を裏切ってしまった結果として、労働の苦しみを得、死をその身に受けることになりました。さらに、エデンの園を追放されることになりました。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある」(22節)との主なる神様の言葉から、現代の問題性も暗示されているように感じます。高度な知識と技術を、私たち人間はどのように用いているのでしょうか。危うさを抱える人間を、神はどのようにご覧になられるのか。皮の衣を作って着せられる神様の愛を覚えたいと思います。

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