地の塩、世の光としての教会

先日のことです。夕方、十字架塔のスポットライトの明かりをつけてから、外に出てみたら、ちょうど散歩途中の男性に出会いました。
「こんにちは!」とお声をかけると、気持ちのいいご挨拶が返ってきました。

その方のほうから、「十字架は、どちらの方向に向いているのでしょうか」とお尋ねがありました。
実は、教会の十字架の向いている方角を尋ねられたのは、2回目です。一度目もやはり、道を散歩途中の男性からでした。

北西の方角、大通りのほうからよく見える方角だと思いますとお答えしますと、
「実は先日、TVでイタリア映画を見まして・・・」と、お話が続きました。

衛星放送で、イエス・キリストの生涯を描いたものをご覧になったそうで、十字架の死と復活が描かれていて、とても感動したとのこと。
思いがけない出会いに、私は大変驚きました。
十字架塔の十字架を通して、神様の存在が証しされていることに、私は本当にうれしくなりました。

「あなたがたは地の塩である。・・・あなたがたは世の光である。
・・あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。・・あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(マタイ福音書5:13~16抜粋)

地域の方々に、そして広く世界のすべての人々に、神様の希望の光が届きますように。またクリスチャン一人ひとりが、希望の光を届ける存在となりますように
心より願います。
あなたに神様の恵みと平安が共にありますように。
鈴木直哉

-牧師のお話