2/14(水)・15(木) 聖書研究・祈祷会

《今日のポイント》 

聖書・奨励 「イエスのまなざし」(ヨハネ9:1~12)

1 誰のせいでこんな苦しい思いを味わっているのか

 弟子たちは、通りがかりの目の不自由な人を見て、こんなことを考えました。「彼が生まれつき目が見えないのには、何か原因があるはずだ」と。誰かが神様を冒涜するような罪を犯したからではないか。本人か、彼の両親が原因か。弟子たちの視点は、伝統的なユダヤ教の考えを表しています。試練を経験するとき、その原因を求めずにはいられない私たちの姿も表しています。

2 神の栄光ある御業が現れるために、この試練が与えられているのだ

 イエス・キリストは答えられました。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」と。この答えは、私たちにとって、どれほど深い慰めを与える言葉でしょうか!続けて、「わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。」とも主は語られました。十字架にかけられるまでの限られた期間に、私たちは神様の福音を伝える働きに専念しなければならない。また、世の終わりが近づく中で、宣教の働きを進めていくようにとの主の大宣教命令でもあります。

 

3 「主よ、信じます」

 主イエスの癒しを頂き、シロアムの池で目を洗った男の人は目が見えるようになりました。その後、ファリサイ派の人々の執拗な取り締まりを受け、共同体から追放されてしまったのです。

しかし彼は、主イエスとの対話を通じて、「主よ、信じます」と信仰告白しています。恐らく、主に従う人となっていったのではないでしょうか。

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