2/12 週報巻頭言より

『あなたのことを忘れない』      No.185

すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これはあなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」(1コリント11:23,24)

 昨日2・11名古屋キリスト者集会に出席しました。一昨年(2021年3月)に名古屋入管で亡くなったスリランカ人ウィシュマ・サンダマリさんの供養に携わり、ご遺族やスリランカ他、外国人の方々の人権問題に取り組む僧侶の方のお話を伺う機会を持ちました。一人の人の死を覚え、弔うことの大切さ。そして、その人の存在を忘れずに、覚え続けることの意味を改めて問われた会となりました。

  ちょうど私も、先々週の金曜日に、父を天に送り、先週火曜日、水曜日と葬儀を営み、一人の人の死を覚えること、生き様死に様を通して、人間の存在の重さ、命の尊さということを実感する中、講演を通して、私たちが普段聞いてきた福音の恵みを実感するものでありました。私たちは、イエス・キリストの死により、あたらしい霊的な命に生かされる者となりました。死んでおしまいでなく、新たに生きる・生かされる存在であることを知り、神様の愛を証しする者へと導かれています。

 戦争・自然災害ほか、人の命が失われるところに大きな悲しみが起こります。忘れずに一人の人を覚え続けることを大切に歩みたいと願います。

-週報巻頭言, 牧師のお話