12/7(日) 週報巻頭言
改めて、主の十字架と復活を思う No.329
「主の慈しみに生きる人を主は見分けて 呼び求める声を聞いてくださると知れ。」(詩編4編4節)
先週、アドヴェント(待降節)に入りました。毎週、信仰・愛・喜び・平和の意味を持つキャンドルを点灯し、主のお誕生をお祝いし、再臨の希望を頂きます。
先週月曜日、教会員のHさんのお連れ合いが天に召されました。水曜日と木曜日に、キリスト教のご葬儀にて故人を天に送りました。ご本人はクリスチャンではありませんがHさんのご依頼により司式させて頂きました。
先月のOさんの納骨式に続き、主イエスの十字架の死と復活、救いの希望を深く心に刻む時となりました。 キリスト教は、死を忌み嫌ったり汚れたものであるかのようにとらえません。母胎のユダヤ教にはそのような考えがありますが、主イエスの十字架の出来事により、価値観が完全に転換したのです。死は終わりではなく、天の御国への出発。終わりの日の復活までの一時に通過点にすぎません。死別の寂しさと悲しみは尽きませんが、天の御国で再会できる希望が与えられています。死の先に希望を見出すこと出来ることは、今日という日を生きる希望につながっています。ありがたいことです。