10/12 週報巻頭言

織りなされた帯のように        No.321

「なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。」(エフェソの信徒への手紙2章10節)

 先週、伝統工芸展を見に古川美術館と分館(池下近く)に行ってきました。知り合いの甥御さんが小倉織の帯の作品で新人賞を受賞されたということでご紹介を頂きました。

 最終日の月曜、自転車で行ける距離にある美術館にお散歩気分で出かけましたが、展示品の数々にしばし時を忘れる思いを味わいました。焼き物、漆器、着物、帯、人形他、それぞれに作者の気迫を感じ、静逸ながらも光放つものに圧倒されました。特に小倉帯の作品は、繊細な色遣いで、漆黒の闇に光差すイメージでした。

  分館の日本庭園でしばし佇み、木々の梢越しに秋晴れの空を仰ぎました。ふと伝道隊での牧師のメッセージが頭に浮かんで来ました。「神の作品としての私たちの存在」。創造主なる神様は、土の器である私たちに命の息を吹き込み生きる者として下さいました。そして、私たちの命輝く時、他者の心に喜びを与え、生きる希望や勇気を与える存在となります。

 今週も、それぞれの場所で。

-週報巻頭言, 牧師のお話