5/21(水)・22(木) 聖書研究・祈祷会

「キリストが形づくられるまで」(ガラテヤ4章)※8~20節中心

1 神から知られているという恵み(8~15節)

 「しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに」(9節)の言葉は、大変印象に残る言葉です。知る=知識、経験を通して体験することは、人間の側の出来事のようでありますが、むしろ、神様の方から先に知られている(=認められている)ことを、ガラテヤ諸教会の人々は信じているはずでありながら、今なお人間の業にこだわり続けているのか。パウロは、ガラテヤの人々に問いかけています。過去のユダヤ人としての経験、さらに、異邦人としての異教の習慣に固執していくのか。恵みによって、信仰(キリストの真実・信実とキリストへの信仰)によって救われたはずのあなたたちの信仰は、どこに行ってしまったのか。

 パウロは、第2次伝道旅行の際、「体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせた」ことで、ガラテヤの人々が福音に生きる者となりましたが、あの時の「幸福」は、どこに行ってしまったのか、とも問いかけているのです。

2 「キリストが形づくられるまで」(16~19節)

 パウロにとって、ガラテヤ教会の人々は、「わたしの子供たち」です。赤ちゃんが母の体に宿り、形づくられるように、あなたたちの信仰がもう一度、キリストの原点に立ち帰り、新たにされることを切に願っているのだと、パウロは熱く語りかけています。愛するがゆえに。

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