2/2(日) 週報巻頭言
主イエスが生きられたように No.285
・そこで、イエスは口を開き、教えられた。「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」
・だから、こう祈りなさい。「天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。」
(マタイ5章2節以下、6章9節以下)
先週火曜日に参加した名古屋キリスト教協議会の開会礼拝の奨励で、私は「山上の説教」について伺いました。翌日の東山教会の祈祷会では「主の祈り」を学びました。私は、その時雷がさく裂したかのような驚きを覚えました。前者はマタイ5章、後者は6章にある教えです。主の祈りは、山上の説教の続きとして教えられています。主イエスは、情熱を込めて弟子たちに大切なことを伝えようとされているのです。生き様を伝えられたと言っていいでしょう。
協議会では、カトリック司祭ヘンリ・ナウエンの著作を引用し、「山上の説教」とはイエス御自身の生き方そのものなのだと解き明かされました。主の祈りも、まさにその通りではないかと私は感じました。
主の祈りはゲッセマネの祈りとも重なります。主イエスの「父よ、杯(=受難)を過ぎ去らせてください。しかし、御心のままになりますように」(マタイ26章36節以下)との祈りは、①神様に委ねる祈りと②私たちの日常での必要を願う祈りの2種類が組み合わされています。
私たちも、主の御旨を真剣に尋ね求め、祈りつつ御言葉を実践していきましょう。