4/9(水)・10(木) 聖書研究・祈祷会
「ゲッセマネの園で」(マタイ26章)※36~46節中心
「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」(39節より)
1 ここに座っていなさい(36~38節、40~43節)
最後の晩餐の後で、主イエスは12弟子と共に、ゲッセマネの園へと向かわれます。ゲッセマネとは、「油絞り」という意味の言葉です。イエス様は、ペトロとゼベタイの子ヤコブとヨハネの3人を伴って、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と伝えられました。おそらく、ひとりで祈るにはあまりにも辛い。悲しみが募って苦しい。せめて、近くに信頼できる弟子を置いておきたい。そんな思いであったのでしょう。「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い」(41節)とは、憐みの思いのこもった言葉として聞こえます。
2 「父よ御心のままに」(39,42節)
主イエスの祈りは、嘆きと絶望、悲しみと同時に、父なる神様への深い信頼のこもった祈りです。「父よ」とは、アッバ(お父ちゃん)という呼びかけです。「あなたの御心が行われるように」と委ねる前に、「この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と祈る主イエスの祈りが、心に残ります。十字架の出来事が恐ろしい。弟子たちを残していくことがつらい。人間としての赤裸々な弱さをあらわにされるイエス様は、神様を心から信頼しておられるのです。その上で、主イエスは、すべての人の救いの為に身をささげることを自分の使命と受けとめ、神様に委ね、明け渡されるのです。