3/12(水)・13(木) 聖書研究・祈祷会
「この最後の者にも」(マタイ20章)※1~16節中心
・「わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。」(14節より)
・「このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」(16節)
1 『天の国のたとえ』シリーズ ~神の救いに入れられるということは~
天の国のたとえは、マタイ福音書の色々な箇所に散見されます。それほどに、聖書の読者やマタイ教会の人々の願い、その時代を生きる人々の切実な希望が、この地上の生活の後、いったいどんな未来が広がっているのだろうか、という点にあったことが分かります。地上の生活に満足していれば、それほど、切なる希望を抱くことがないようですが、私たちの時代でも、葬儀への関心が高いことは、時代を超えて、いつの世でも、天の国待望があると言えるのではないか。
2 「友よ」(1~16節)
ぶどう園の主人は、朝9時、12時、午後3時、夕方5時に収穫の労働者を募り、ぶどう畑で働いてもらいます。収穫量に応じてとか、労働時間に応じて、収入の差が生じるのかと思いきや、夕方僅かな時間しか働いていない人も、一日働いた人も、同額の一デナリオンであったことに、驚かされます。主人の言葉に注目しましょう。「友よ」と呼びかけ語られる言葉は、主人の愛を感じる内容です。神様は、全ての人を愛し、救おうとしておられる。広く、深く伸ばされた御手をもって一人でも多く・・。 ※ヨハネ3:16以下参照