6/11(水)・12(木) 聖書研究・祈祷会
「イエス・キリストは主である」(フィリピ2章)※1~11節参照
1 イエス・キリストとは何者か(1~10節)
喜びの手紙とも称されるフィリピの手紙が、獄中からの書簡であったことは先週触れました。パウロは、獄中にある自分の為に、「キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり」と慈しみや憐みの心をもって、エパフロディトを派遣してくれたフィリピ教会に対して、心から感謝しています。その上で、教会内では和解するようにと勧めの言葉を語っています(2節以下参照)。
イエス・キリストのお姿に言及しながら、この方の生き様に倣うようにと、和解の勧めを語るパウロです。人として来られた神、僕として仕えられたキリストについては、「神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者に」なられた。「人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」との言葉の通りです。
2 イエス・キリストは主である(11節以下)
キリストの謙遜に触れたうえで、パウロは、信仰告白の言葉を引用しつつ、「天上のもの、地上のもの、地下のもの」がすべてイエス・キリストの御名をほめたたえ、信仰告白へと導かれ、「父である神をたたえる」ようにされる時が、今まさに来ている。神礼拝へと、すべての者たちが招かれているのだと語ります。今は迫害や苦しみの時代であっても、キリストの日は近い。共に喜びましょうと、パウロはフィリピ教会の人々に向けて、礼拝の招きを積極的に行っています。
現代に生きる私たちも、クリスチャンの交わり、礼拝を通して、力を頂き、「神の子として、世に会って星のように輝き」歩むようにと導かれています。