4/1(水)・2(木) 聖書研究・祈祷会
「シモン、十字架を担ぐ人」(マルコ福音書15章21~32節)
十字架への道行き(ヴィア・ドロロサ(主の悲しみの道))
現代でも、2000年前の主イエスがエルサレム旧市街を十字架を担いで歩まれた道のり、ヴィア・ドロロサ(主の悲しみの道)をたどることは出来ます。30年ほど前の体験から、それはどれほど重く、厳しい歩みであったのかと想像いたします。
シモン、十字架を担ぐ人(21~22節)
福音書に登場するのは、わずか一度きり。しかも、たまたま通りかかった人として描かれる「アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人」は、この後、どこにも登場しません。しかし、その妻と息子たちの名はパウロ書簡に登場します(ローマ16:13)。主に従う人となり、十字架を担う人生は、自ら進んで/たまたま偶然の出会いの中で始まるようで、実は、神様の御計画の内にあり、必然的な導きがあることを思います。
受難の金曜日(23~32節)
主イエスは午前9時ごろ、ゴルゴタの丘で十字架刑に処せられました。右と左にも、ふたりの人が同じように処刑されました。取り囲む人々は、あざけり、左右の罪人たちも同様にののしったとあります。主イエスは、この日この時、どのような思いを抱いておられたのでしょうか。