2/18(水)・19(木) 聖書研究・祈祷会
「十字架を背負う」(マルコ福音書8章31~38節中心)
4千人の給食とベトサイダでの癒しが表すこと(1~26節)
神様のしるしを求める人々に対して、主イエスは「深く嘆」かれました(12節)。どうして神様の御心を見ることをしないのだろうか。あなたは何を見ているでしょうか。そして、今、どこを見つめているでしょうか。多くの奇跡の表層を見ているのか。目が見えるようになった盲人は、「何でもはっきり見えるようになった」(25節)ですが、見えるとは、英語で「to see」=分かるという事です。神様が生きて働く方であり、すべての出来事の背後に神様の御心が働いていることを、あなたは見ているでしょうか。感じ取っているでしょうか。
ペトロの信仰告白と主イエスの十字架の関係(27~38節)
ペトロは「あなたは、メシア」です。とはっきり信仰告白をしました。それに対して、メシアの秘密とも言われる「御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた」出来事が続きます。誰も本当に主イエスが何者であるのかを、理解している人がいないからです。もう一つは時ではないとも言えるでしょう。そのことは直後の出来事からも明らかです。十字架の主は、十字架の死と復活の出来事を3度も予告されましたが、弟子たちの内でも誰も理解していません。一番弟子のペトロは主イエスをいさめ始めてしまいます。
主は、「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(34節)と弟子たちを招かれました。今を生きる私たちに対しても同様に。永遠の命に繋がる招きに、私たちはどのように応えることができるでしょうか。