5/13(水)・14(木) 聖書研究・祈祷会

「執り成しの祈り」(テモテ2章より)

1 執り成しの祈りの範囲はどこまで?(1~3節)

 誰かの執り成しの祈りをささげることは、私たちクリスチャンにとって大きな恵みであり、神様の賜物(プレゼント)です。私たちは誰かのために心を痛めたり、見ず知らずの人であっても、困っている人がいれば、手を差し伸べようとする善性を神様から頂いています。

 執り成しの祈りは、「すべての人々のために」ささげるべきなのだとパウロは語ります。「王たちやすべての高官のために」とあるように、政治的な指導者や、行政を担う人々が含まれています。実は、これは大変驚くべきことです。なぜなら、既に紀元1世紀の終わり、2世紀の初めには、キリスト教はユダヤ教からも、ローマ帝国からも、危険視され、迫害が始まっていたからです。

 本来敵と見なされてもおかしくない相手を覚えて、神様の恵みと祝福を祈るというのは、人間的な思いからすれば、常識を超えたものであり、呪術的な祈りの方が自然と思われるかもしれません。

 しかし、パウロは2つの理由を挙げて、執り成しの祈りの重要性を解き明かします。「信心(=敬虔)と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るため」に、私たちにとって必要なことだから。

次に「救い主である神の御前に良いことであり、(神に)喜ばれること」からだと語ります。

2 神は全ての人が救われることを望んでおられる(4~7節)

 執り成しの祈りの究極的な目的。それは、4から5節にあるように、主なる神様は全ての人が救われること、そして、真理を知るようになることを切望されているので、その願いが実現するために、祈るのだ、というのです。主イエスの十字架の贖いは、「証し」であり、この証しを伝える者としての宣教者パウロは、真実を語っているのだと、力強く語っています。

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