4/19(日) 週報巻頭言

『葬りの場に主の慰めが』       No.348

「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。」(ガラテヤ3:26)

 イースターから数えて一週間後の12日、敬愛する兄弟が天に召されました。2018年から数えて8年の歩みをご夫妻と共に歩んできました。慣れない名古屋生活で、ご家族が近くにお住まいだったとはいえ、どんな思いで毎日を過ごしてこられたのだろうか。そして、東山教会は、兄弟にとって慰めの場所・時であったのか。いろいろお尋ねしたいことはありますが、天での再会を果たしたあかつきにはぜひ伺ってみたいことです。

 葬儀の場で私が改めて実感したことは、悲しみを悲しみとしてしっかりと受け止め、尚且つ、主にある希望を噛みしめる場としての大切な役割が、葬儀にはあるということです。また、葬儀の全ての瞬間、不思議に慰めの時が流れているということ。それはとりもなおさず、ご復活の主が共におられ、信じる者にも信じていない人にも等しく臨んで下さっている。

 悲しみでは終わらず、慰めがあり、復活と再会の希望が注がれている。ご家族との語り合いの時間も与えられ、故人のお人柄を偲ぶ中で家族思いで不器用ながらも愛情豊かな方であったことを思い起しました。私もその存在に慰められ、励まされた 者の一人です。ありがとうございました!

-週報巻頭言, 牧師のお話