2/13 週報巻頭言より

『祈祷会でのひとこま』         No.133

気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。(マルコ13章33節)

 先週の水曜日と木曜日の聖書研究・祈祷会でのこと。聖書の箇所は、マルコ福音書13章32~37節を取り上げ、賛美をささげ、み言葉の奨励、分かち合い、祈りの時を持ちました。分かち合いでは、興味深い話を分かち合うことが出来ました。

 「時」=終わりの時についても話が出ました。時の徴は、季節の変わり目を見るように、私たちも見分けることが出来るのではないか。また、世の中の動きに関係なく生きるのではなく、世の動きをよく知る必要があるのではないかという声もありました。他には、終末論が地震や噴火、コロナ感染の中で声高に語られる教会(どちらかと言えば異端に近い)もあるが、それに惑わされないで歩んでいきたい。どちらの声にも一理あり、どちらも主イエス・キリストを信じ、主と共に生きる歩みを大切にする中で出てきた言葉です。

 私は20世紀の神学者カール・バルトの言葉を思い出しました。片手に聖書、片手に新聞。世の動きを見極めつつ、み言葉にしっかりと根差して生きる生き方を説いたものです。主を見つめ、主と共に。今週も歩みたいと願います。主の恵みが共にありますように。

-週報巻頭言, 牧師のお話