9/12 週報巻頭言より

『心に刻む歳月・12年』       No.113

「わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。

しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。私は公平をもって彼らを養う。」(エゼキエル書34章16節)

 2009年9月13日の主日の午後、東山キリスト教会の会堂にちょうど100名の人々が集結し、牧師就任按手式が行われました。今から12年前のことです。

 私はこの故郷の教会に帰り、牧師として歩むにあたり、イエス様のお母様のマリアの言葉「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1:38)に基づいて、献身の思いが新たにされました。

 先週の聖書研究・祈祷会で、上記エゼキエル書34章を取り上げた際、16節の言葉が心に留まりました。主なる神様は、散らされた人々、打ちひしがれて道を見失った人々を探し出し、緑の牧場に導かれ、養い育てられるという内容でした。主なる神様の癒しと養いを、今の時代は切望しています。いや、いつの時代も。  そのために教会形成と牧会に励んでいく祈りと覚悟を持って歩み始めたのが12年前のこと。この思いは今も変わりありません。コロナ下にあって、むしろ強められているとも感じます。試練も幸い。神様の恵みを一人でも多くの人と分かち合っていきたいと切に願います。

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