7/18 週報巻頭言より

『教会という場』      No.105

私たちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。(ヨハネによる福音書1章16節)

 先日新聞のミニコラム欄で面白い言葉に出会いました。「神や宗教の教えや存在よりも、教会という場の方がはるかに意味深い救いを、人に与える場合がある。」(志賀理江子・写真家)です。震災の記憶をたどる中で、きっとこの方は、何かの形で教会との出会いがあったのでしょう。

 教会という場が救いを人に与えるという言葉は、刺激に満ちた言葉です。信じている、信じていないという個人の信仰の有無を超えて、「ただそこに居ていい」という場所があることの大事さを伝えている言葉なのですが、どんな神/宗教が本物かという宗教論議を超えて、教会という場、建物・空間、そこにただよう気配を含む存在全体が、すでに救いにつながる場なのだということを表現しているのではないかと感じました。

 震災、相次ぐ水害、そして、コロナ危機を経験する中で、わたしにとって何が慰めとなり、ほっとする一瞬を味わう時であり、場所なのかを考えています。たとえ一度でも教会に身を置き、ほっとできる瞬間、自分がここにいてもいいのだと味わえるならば、幸いなことです。東山教会という空間に主の恵みが満ち満ちていることに感謝して。

-週報巻頭言, 牧師のお話