6/13 週報巻頭言より

『ディスタンスについてもう一度考える』 No.100

 暗闇に住む民は大きな光を見、死の影の地に住む者に光が射し込んだ。            (マタイ4:16)

 先週、名古屋キリスト教協議会の70周年記念誌編集委員会に出席しました。記念誌編集を行う中で、70年の歴史と2011年以降の10年間の歴史をどう総括するかということを中心に話し合いが進めています。編集委員会でのお話の流れで、ソーシャル・ディスタンス(社会的孤立)という言葉が昨年からコロナ感染拡大を防ぐために使われているが、この用語の使い方は間違っているのではないかという指摘が出ました。確かに“ソーシャル・”の言葉が広まった後、“フィジカル・ディスタンシング(物理的に距離を保つ)”という用語の方が適切であるという報道がありました。物理的な距離を取ることはあっても、社会的孤立を招くようなことがあってはならない。社会的孤立を促すような言葉を積極的な意味で使うことは間違っているわけです。 

  教会の場合、感染リスクを身近に感じながらも“共に生きる”ことを大切なこととして共同体を形成しています。神様自らが私たちと霊的な近しい交わりを持ってくださっていることを踏まえて、兄弟姉妹の交わりが途切れないよう、質的に豊かな交わりになることを、今こそ考えなければと思わされたものです。

                           主の恵みを祈りつつ

-週報巻頭言, 牧師のお話