1/6・7 聖書研究・祈祷会

聖書・奨励「これはわたしの愛する子」(マタイ3:13~17) 〔新約4頁〕

1. イエス、バプテスマのヨハネからバプテスマを受けられる(13~15節)

 バプテスマのヨハネは、イエス・キリストの到来を予告していました(3:11、12)。しかし、まさかイエス様がヨハネからバプテスマを受けることは予想もしていません。なぜ、イエス様はバプテスマを受けられたのでしょうか。「正しいことを全て行うことは、我々にふさわしいことです」の言葉に注目します。「正しい」=「神の義」です。「神の義を成就することは、ふさわしい」(ウルリヒ・ルツ訳参照)とありますように、神様の救いの業が完成される為、イエス様はバプテスマを受けられたのです。すべての人間の罪がゆるされるためには、神様のほうへ向き直り(悔い改め)、人間の罪を共に背負い、共に罪から救われる(解放される)ことが必要です。イエス様はわたしたち人間と同じ姿で、同じ立場に身を置かれ、父なる神様から引き上げられる(復活させられる)ことを自ら体験されました。

 水のバプテスマは、罪に死に、神の命に生きるという命と死を象徴しています。また、ノアの箱舟の出来事(洪水=死、箱舟=救い・命)を表しています。十字架の死と復活を先取りしているのがイエス様のバプテスマです。私たちもこのバプテスマにあずかり、罪に死に、復活の命にあずかる体験をするのです。

2. これはわたしの愛する子(16~17節)

 神様の愛する子であるイエス様が、福音伝道の働きを始めるにあたり、人間の手によりバプテスマを受け、神様の言葉による押し出しと聖霊の臨在を受けることが描かれています。「これはわたしの愛する子」という言葉は42章1節、詩編2編7節の言葉が組み合わされています。さらに、メシアとして選ばれた子には、神の霊がとどまる(イザヤ11章1節)の預言が成就される出来事でした。マタイ17章の変貌の主イエスの箇所で、ほとんど同じ言葉が繰り返し、神様から語りかけられます。

 私たち教会の歩みも、神の御言葉に押し出され、聖霊の油注ぎがあって初めて一歩踏み出されていきます。まず、イエス様の命に結ばれて、イエス様と共に歩むというバプテスマの出来事があり、イエス様はわたしたちの一生を共に歩んでくださいます。感謝なことです。

祈りの課題: 心ひとつに祈りを合わせましょう!

1東山キリスト教会の為(福音伝道と牧会の働き、メンバーの霊的健康)

・1/6(水)・7(木)聖書研究・祈祷会

1/10(日)主日礼拝(主の晩餐の再開!)

 教会形成、福音伝道が主のみ心にかなって導かれますように。クリスマスのために。

2日本と世界の為(新型コロナウイルスの終息、世界の平和のために)

 社会の営みの回復と、新しい価値観に生きることができるように。人種・国籍、社会の格差に

 よって生じる差別、偏見から解放され、平和な世界が作り出されるように

3出席者の祈り課題 

※次回:1/13(水)・14(木)「力ではなく神の言葉で生きる」(マタイ4章)

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