6/28 週報巻頭言より

『隠されたもの、秘められたもの』   No.49

「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。」(ルカ福音書8:17)
 
「隠れているもの…」は、主イエスの言葉です。
中国四国地方選出の国会議員の夫婦が公職選挙法に抵触する事件を起こしました。金銭の受け渡しについては、当初もらっていないと言っていた人々が、つぎつぎと「実は・・・」との告白が続いています。まさに秘められたことが公にさらされて、明らかになっています。
 この出来事を考えつつおりましたら、先週の祈祷会で「主の日=終末、終わりの日」について1テサロニケ4,5章を通して学ぶ機会が与えられました。主の日は来ないとうそぶく人、主の日はいつ来るのかと不安を抱える人々に、「主の日は来る」、それも、「盗人が突然忍び込んでくるように」、ある日突然、やってくることが記されていました。その日には、すべての事柄が白日の下にさらされます。しかし安心してよいのだと、聖書は語ります。私たちは「光の子、昼の子」とされ、救いを約束されたことをしっかりととらえ、身を慎んで生きるようにと勧めています。
 福音の喜びに生かされていることを自分はどれほど自覚しているだろうか。福音を独り占めにして、伝える努力を怠ってきたのではないかという反省と共に、悔い改めて福音伝道に励んでいきたいと強く思わされました。「初心忘るるべからず」ですね。

-牧師のお話