4/15,16 家庭祈祷会 「後ろから近づくイエス様」(ヨハネ20:11~18)

※聖書箇所とタイトルは、聖書教育を参考にしています。聖書解釈は、私独自の視点も入れています。

1 悲しみから引き上げてくださる神様
マグダラのマリアは、空っぽの墓を目撃し、悲しみのあまり泣いていました。そこに2人の天使がいることに気づきます。悲しみで眼が曇ることはありますが、かえって物事の本質が見えることもあるのではないでしょうか。さらに、「わたしの主が取り去られ」てしまったという嘆きが、喜びに変わることも、私たちの人生には、起こりうることです。神さまは、私たちを悲しみと嘆きのどん底に突き落としたままにはしておかれません。そこから引き上げてくださるお方です。

2 振り向くと、そこにイエス様がおられた
後ろを振り返るマリアの視線には、一人の男の人の姿が目に入ります。しかし、まだマリアはこの男の人がイエス様だとは気づいていません。私たちのまなざしがとらえるのは、表面的なことです。神さまの御業をすべて見通す力は持っていません。マリアは、イエス様と対話する中で、次第にこの方がイエス様だと確信するに至ります。神様は、私たちにじっくりと考えてちゃんと神様のことがわかるようになるまで待ってくださっているのではないでしょうか。「マリア」と呼びかける声に、彼女は振り返ります。主は呼びかける。それに、私たちは応えるというスタイルは、弟子たちの召命の際には必ず起こることです。振り向くというのは、神様に立ち帰る行為そのものです。

3 すがりつくのではなく・・・
解釈の難しい箇所・言葉ですが、私はこう解釈しています。過去の想い出にすがるのではなく、今、そして、これからなすべき新しい出来事へと心を向けていくようにと、促されているのではないか。信仰生活の中で、あるいは人生の中で、「あの頃はよかった」とか「若い時はよかった」と過去の想い出にふけったり、過去の栄光にすがりつくこともあるかもしれません。そうではなく、今、自分にできることを精一杯すること。マリアの場合には、「わたしは主を見ました」(18節)という事実を、ほかの弟子たちに伝え、さらに、イエス様の言葉を語り伝えることが、彼女の使命でした。この使命を果たしていくことへとイエス様は促されています。そして、その使命を果たすとき、彼女はもはや一人ではなく、傍らには、復活のイエス様が共におられます。私たちも、今何をなすべきか。今自分を取り巻く状況がたとえ悲しみで心押しつぶされそうになっていたとしても、神様の呼びかける声を聞き、その声に従って一歩踏み出していくことが、私たちに大事なことではないでしょうか。

祈りの課題:

教会の祈り(礼拝の再開、メンバーの霊的健康)、日本と世界の為
(新型コロナウイルスの収束、世界の平和)の為祈りましょう。

※次回:4/22(水)、23(木)「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20:19~29)

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