4/12 説教「神は世を愛された」(ヨハネ3:16~21)

 イースターおめでとうございます。主のご復活を覚える朝、ご家庭で、また教会で礼拝をささげている兄弟姉妹に神様の恵みが注がれますようにお祈りいたします。今、世界は一つの苦しみを味わっています。新型コロナウイルスの脅威によって苦しみを味わっている私たちであります。しかし、病はやがて収束し、安心して暮らすことが出来る日が来ることを信じています。
 復活の朝に起こったこと。それは、死んだ人がよみがえるという信じがたい出来事でした。死んで葬られたイエス様のお墓のところに、女性たちが来ました。遺体が腐ることがないようにと、防腐剤(香油)をご遺体に塗る為です。墓の入り口は空いていました。そこには天使がいて驚くべきことを告げるのです。「あの方はここにはおられない。あなたがたのことをガリラヤで待っておられる」のだと。驚きのあまり信じることのが出来ない女性にたいして、一人の男の人が近づいてきて、「おはよう(シャローム!)」と声をかけられました。復活のイエス様です。
 今日は、新約・旧約聖書を通じて最も有名であり、人々に希望を与えてきた神のみ言葉をお読みしましょう。ヨハネ3:16以下、ここには、神の愛が描きだされています。「神が世を愛された」という愛は、アガペーの愛です。私たち人間の愛は、限りがあります。永遠不滅ではなく、恋愛、友情、同志的な愛にしても、深まること、強まることもあれば、弱まり、消えてしまうこともあります。しかし、神様の愛は、けっしてなくなることはありません。神様は、この世を愛されたという世、それは、この世界を指しています。世界に生きる人間、そこにうごめくありとあらゆる存在を愛しています。
 私たち人間が見えているものには限りがあります。広い宇宙の果てに至るまで、また、微生物から、命のもととなる核に至るまで、見える範囲はごく限りがあるのです。神様は、この世界、つまり、全ての生きとし生けるもの、大きなものから小さなものに至るまで、そのすべてを愛されている。それは、人間の弱さと限界もご存知の上で、私たちのことを強さも美しさも、弱さも醜さも含めて愛しておられるということです。
 私たちは、今試練を味わっています。試練はおおよそ経験したいものではなく、神様を信じ、イエス・キリストを救い主と受け入れる信仰生活に入れば、恵み・恵み・恵みばかりを願う者であるかもしれません。しかし、信仰が私たちに伝えるのは、恵みばかりで苦しみがない人生ではなく、苦しみの中にあっても、神の恵みに生きるという道ではないでしょうか。今回の新型コロナウイルスの病だけでなく、戦争、自然災害など、私たちは、これらの試練を経験し、自分の弱さと限界をいやというほど味わいます。そして、それと同時に、弱いからこそ強いのだという逆説的な神様の恵みを知るのです。弱いからこそ、支え合うことを知ります。支え合って生きなければ生きることが出来ない小さな存在であることを知るのです。
 神様は、私たちの弱さと罪を知っておられます。人間が犯す罪とは、何も殺すこと、盗むこと、姦淫することではなく、神様に背くことです。神様などいらないと神様を拒むことが、聖書の語る罪です。神様は人間の罪の現実を目の当たりにして、何度もこの世を滅ぼそうとしながら、何度も思いとどまられました。最終手段として、最も愛するご自分の独り子イエス・キリストを、この世に、私たちに差し出して下さったのであります。
イエスさまは今日も私たちと共におられます。「私の命を受けよ」、「この命によって生きよ」と、命を差し出して下さっています。今日、明日、これから、私たちの傍らに共に歩んでくださるイエス様と共に、歩んでまいりましょう。

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