「記憶を風化させないために」(1/19週報巻頭言より)

すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、
感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これはあなたがたの
ためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように
行いなさい」と言われました。(1コリント11:23以下)

 阪神・淡路の震災から25年、4半世紀がたちました。あの日、あの時何をしていたのだろうかと振り返りますと、私は東京神学大学の寮で大きな揺れで目を覚ました。TVをつけましたら、大阪の街の映像で、モクモクと煙が上がる映像が映し出されていました。情報が次々と伝えられ、未曽有の大震災であったことが分かりました。学生会でボランティア活動の準備はしていたものの、第一陣以外は出発することなく、結局活動が立ち消えになったことを後々まで後悔したことを思い出します。
 「人間は忘れる動物だ」という言葉を聞いたことがあります。阪神・淡路の後、新潟、東日本、九州をはじめ、この25年の間に大震災が続きました。さらに、集中豪雨も発生しています。いつの間にか非常事態が生じることが当たり前、遠くの他人の事柄のようにして忘れている自分に驚くとともに、恐ろしくなります。イエス・キリストはご自分の十字架の死と復活の出来事を忘れず、風化させず、この記憶を心に刻むよう、パンと杯を差し出されました。
救われた喜びを胸に、今日も福音を伝えていきましょう。

-お知らせ, 牧師のお話