3・11を覚え、被災地を覚えての祈り

2019/03/14

2011年3月11日以来、8年の時を数えます。
先日の11日には、カトリック名古屋教区主催の追悼集会があり、宗教の垣根を超えて、仏教界、天理教、イスラム教界、プロテスタントの教会からも多くの宗教者、信徒の方々が集まって祈りをささげました。
私も、集会の中で名古屋キリスト教協議会の議長の立場で、プロテスタント教会からということで、祈りをささげました。

私の祈りの内容は、元原稿があります。もとは、日本バプテスト連盟の諸教会に配布された祈りですが、それに基づいて、私なりのアレンジを加えたものです。
少々長いのですが、以下に記します。

主なる神様、
本日3月11日は、東日本大震災、および福島第一原発の事故発生から数えて8年になります。震災被災の死亡者は、1万5897名、行方不明者2534名、避難生活を余儀なくされた人々5万4288名を数えます。震災後の関連死で3701名の方が命を落としました。
 私たちは、これらの既に死を迎えた人々、今現在、苦しみを味わっている人々の尊い命を覚えて、追悼と復興を祈る諸宗教者の集いを行っています。カトリック名古屋教区の皆様の呼びかけを受け、宗教の垣根を超え、ここに集うことを許されたことを、心より感謝します。
 被災地での建物、仕事など、一見すれば復興、復旧は進みました。しかし、生活の再建がおぼつかず、故郷を遠く離れて帰郷を願うものの帰ることのできない人々がいます。さらに、被ばくの危険がありつつも、故郷にとどまり続ける人々もいます。震災・津波の死で愛する人々に先立たれた傷と、生き残ったことに罪の意識を抱きながら生き続ける人々がいます。
 どうか、心に体に深い傷を得た人々のその痛みを顧みて下さい。その苦しみの声なき声を聴くことなく、想像することもなく、当たり前の生活を味わって生きる私の、私たちの冷たさを心から悔い改めます。
 今年は、天皇の代替わりの時期であり、また、来年は、2020年の東京オリンピックを控える時期です。日本が大きく変化を迎えるときにあたり、復興オリンピックと位置付けられつつも、被災地の、被災者の方々の声を封じるようにして、明るい話題へと国民の目がそらされるとするならば、それは、悲しい現実です。どうか、私たちの心に、傷付き苦しむ人々を思いやる心を回復させてください。何もできないと言い訳をせず、何もしないではなく、私たちにできることを教えてください。
 福島第一原発からの核汚染は、いまだ続きます。原発を廃炉にする作業も、続きます。これから先、何十年、何百年、何千年、いや、何万年とかかったとしても、人間の英知と努力によって、核汚染からの自然環境の回復に全力を尽くすことが出来ますよう。山と海と、そこに生きる動物、植物はじめすべての生きとし生けるいのちが安全に、安心して暮らすことが出来る環境を回復する努力を、怠ることがなきよう、私たち人間を導いてください。忘れることなく、記憶し続けることが出来るように、私たちを導いてください。
 イエス・キリストは、「悲しむ人々は幸いである、その人たちは慰められる。」また、「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」と言われました。
 悲しみを抱える被災地、被災者の方々と、また、全世界にある戦争、内戦、自然災害に苦しむ人々のことを、どうか慰めて下さい。私たちを、平和を作り出すものとして、思い考え、祈り、行動するものとして下さい。 この祈り 主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン 

-牧師のお話