キリストの体・リフォーム工事から考える

皆さん、こんにちは!名古屋地方は、雲一つない晴れ渡る空のもと、さわやかな一日を過ごしています。
私たちの東山教会では、先月22日から、トイレリフォーム工事が続いています。連日の工事を見ながら、パウロが教会について、キリストの体(1コリントの手紙)という言葉で表現している箇所を思い浮かべています。

古いトイレを改修するにあたり、狭い空間ではありますが、使い勝手のいいトイレになること、清潔で美しいトイレになることを願いました。教会員の方々と話し合いを重ね、業者の方にもこちらの願いを伝え、
半年ほどの時間がかかりましたが、工事着工となりました。
この話し合いを重ね、何度も試行錯誤するプロセスは、効率的なのかとか、有効なのかと一見思われるほど、ゆっくりのペースでした。しかし、私たちの教会にとっては、大事な一歩でした。誰のための、何のための工事であるのかと問いつつ、財政面の課題もクリアーしていったとき、もはや一人ひとりにとって、お客さんとしての教会生活ではすまなくなります。私の教会の出来事であって、私たちが考え、決断したトイレ工事になったことで、より教会が、身近になってきます。

さらに、工事に携わる業者の方々の姿を見ても、それぞれ役割分担の違う中で、一つのものを作り上げていく姿は、大変参考になります。最初に土間をはつる解体業の人達がいて、次に、コンクリートを流し込む左官屋さんがいる。さらに、電気の配線を担当する電気工の人がいて、壁や階段をつくる大工さんがいる。
もともとあったものが一度壊されて、今度は新しい形に作り上げられていくというプロセスも、教会的に、神学的に考えてみると非常に面白いものだと思います。

来週の水曜日が工事終了予定です。初めがあって終わりがあります。完成したトイレは、どのようになっているでしょう。とても楽しみです。

-牧師のお話