忍耐しつつ、神の国を待ち望むこと

11月3日(金)、名古屋の金城学院大学を会場に、日本福音ルーテル教会東海教区と名古屋キリスト教協議会共催、金城学院協賛による
宗教改革500年記念大会が開催されました。

講師にルーテル学院大学教授で、日本ルーテル神学校長の石居基夫先生をお迎えし、『「信仰によって義とされる。」とは、どういうことか。』という講演を伺いました。
ヴィッテンベルク大学の神学部での講義で、旧約聖書の詩編を講義する中で、神の義によって救われるという御言葉に真剣に向き合う中で、
行為義認、律法(実践することでの)義認ではなく、ガラテヤ書、ローマ書にあるパウロの説き明かす信仰義認に目覚めたルターの軌跡を伺いました。

さらに、ルターがもう一つ大切なこととしてとらえていた真理、キリストの命に結ばれて、新しくされたものとしてクリスチャンは生きるのだという点も
伺うことが出来ました。

現実の世界には、解決されていない問題、課題が山積みの中で、神の国を待ち望みつつ、忍耐して生きること、あきらめるのではなく、忍耐しつつ、自分にできる最善の業に
励んでいくという方向性が示されて、本当に幸いな時でした。

その数日後の5日(日)、遠く離れたアメリカのテキサス州の教会で、礼拝中に銃乱射事件が起こり、多数の犠牲者があったというニュースが伝えられました。
わたしは翌日の朝のラジオでそれを聞き、立ち上がれないほどの衝撃を受けました。
バプテスト派の教会であり、同じ仲間の教会で、礼拝中の出来事だったことに他人事とは思われなかったのです。(国内でも、猟奇的殺人事件のニュースが伝えられ、心が痛みます。)

昨日の祈祷会でも、その教会を覚えて祈りをささげました。この現実の中で、いったい自分に何が出来るのだろうか。祈ることしかない。どう祈るのか。神様の平安と慰めが、その教会の兄弟姉妹と共にあるようにと。
神の国を待ち望み、忍耐しつつ歩むということが、今の現実の生活の中で、切実に問われ、胸苦しく、心が押しつぶされそうになりつつも、祈りました。
口で言うほどたやすいものではありませんが、祈り続けていきたいと思います。

皆様に神様の恵みと平安が、今日も豊かに共にありますように。

-牧師のお話